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建築科・建築デザイン科の縦の会であるシグマ会の平成25年度 交流会のお知らせ
平成25年 9月 7日土曜日 9:30~15:00
そうめん延ばし体験 三輪(大神)神社周辺見学
詳細はチラシを参照下さい。
当日は、古文化研究会を中心にした工芸生にも声を掛けております。
皆様ご参加下さい。他の科の方でも結構です。
お子様が参加される場合は、そうめん延ばし体験をお子様とご一緒になさるか、
あるいは別々にされるかによって料金が変わります。
昼食についても、お子様の分が不要な方等は、事前に申し込み用紙にその旨ご記入下さい。

昨日(7日)下見に行ってきました。
天気良すぎました。
麺ゆう館の周辺は、纒向遺跡(まきむくいせき)があります。
以下解説 
2009年11月に纒向(まきむく)遺跡で現地説明会が行われた大型建物跡(3世紀前半)は邪馬台国の女王、「卑弥呼の宮殿」ではないかと邪馬台国畿内説の学者たちが予測している。三輪山一帯は卑弥呼の墓ではないかといわれている箸墓古墳(はしはかこふん)をはじめ、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く残っておりヤマト王権の都だったと考えられ、さらに「卑弥呼の宮殿」と考えられる建物跡が発見されたことから、邪馬台国が三輪山一帯にあったとする説が日増しに強くなっている。
纒向遺跡(まきむくいせき)は三輪山の北西麓一帯に広がる弥生時代末期から古墳時代前期にかけての遺跡群で前方後円墳発祥の地とされている。
纒向遺跡からは農業用の大型水路や土抗の中から三輪山祭祀に関する遺物が多数見つかり、石塚古墳周濠からは祭祀遺物弧文円板(こもんえんばん)などが出土しており三輪山が3世紀以前から神の山であったことを証明している。
纒向遺跡には纒向勝山古墳(まきむくかつやまこふん) 、纒向矢塚古墳(まきむくやずかこふん) 、纒向石塚古墳(まきむくいしずかこふん)、東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)、箸墓古墳(はしはかこふん)、ホケノ山古墳など邪馬台国と時期が重なる3世紀頃に築造されていたと考えられる古墳が多く残っているが、埋没した古墳がたくさんあると考えられている。
『記紀』では崇神天皇(すじんてんのう・紀元前148-紀元前29年)・垂仁天皇(すいにんてんのう・紀元前69年-紀元後70年)・景行天皇(けいこうてんのう・紀元前13年)-紀元後130年)の磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)、纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)が存在したと伝えており、纒向遺跡はヤマト政権発祥の地と考えられ邪馬台国の結論は別にしても弥生時代から古墳時代の日本の中心都市のひとつであったことは間違いないだろう。

下記添付画像をクリックして拡大して下さい。



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